【7月23日】セット練:2時間ジョグ 駅伝の参加票届く
※昨日のセミナーは大変有意義でしたので、後日必死にメモした内容をシェアさせていただきます。
土曜の駅伝対策とセット練で2時間ジョグ。
冬場なら気持ちいい汗をかける内容ですが、この時期はかなり堪えます(;´Д`A
私、ハーフパンツが給水限界を超えて足を伝って汗が流れ落ち、靴下まで染みる現状を初体験しました。
最初は飲み水をこぼしたかな〜くらいでしたが、徐々に不快感が増してくる靴下に状況を理解。
で、理解してもどうにもならないw靴擦れを恐れながら2時間走りきりました。
前半は5:30/km、後半はキロ5で刻むナイスガイをストーキング、最後は靴擦れを恐れてキロ6でマッタリと締め。
2時間でペットボトル3本飲み干したのに、体重は1kg以上減量してましたw
そして
駅伝の参加票が無事届きました!
2回目だけどオラワクワクしてきたぞ!
午後は息子とスタンプラリーという名の二部練に入りますε-(´∀`; )
願掛け
七夕ですね。
先週の日曜に近隣の砧公園に出かけた際、子供向けイベントのお土産で笹の葉をもらってきました。
昔は行事には関心がなく、お酒を飲める行事だけは興味がありましたw
ただ子供を持ってからは、行事に係わる動きをちゃんとするようにしてます。
ブログを初めて一月ほど経ち、初レースを控えていた昨年7月。
たしか・・・toshiさんの初代ブログでは
(初代はすでに削除されているので記憶違いだったらスイマセン)
短冊に「サブスリーランナーになる」と堂々の宣言をされ、
翌年のフルで見事達成(合ってますよね?;)。
最後にサブスリー表示タイムとともに子供達と映った写真で〆るという
THE:漫画の主人公のような格好いい結果を残され、はてブロ界を感動の渦に巻き込まれました。
その記事を読んだ後は、しばらく頭の中のチャンカワイが叫び続けて仕事になりませんでした
そんな偉大なtoshiさんに影響を受けまくった私の願掛けは
手ブレご愛嬌。内に秘めるタイプですが思いは公言した方が良いと思いました。
今日は繋ぎジョグ。朝でも25℃くらいあって滝汗で辛いw
明日は10kmTTで現状の力を確認します。
【6月14~18日】状況 +期間限定で・・・
14日 Tペース5km+おかわり1km
先日紹介した本の影響をバチバチに受け、自分に足りないもの、強くしたいものを考えた。
【足りないもの=30km以上のレースでの前半の自制心】
【強くしたいもの=苦しい局面での粘り強さ、毛根】
毛根はすでに手遅れかも知れない。
続きを読む親に感謝
16日未明
長女に喘息発作が出て急いで車を飛ばした。
去年にも不意打ちの搬送を経験しているので、
最悪そのまま入院も覚悟して小児科のある救急外来へ。
PM11:30
車庫の空きががない・・・しかたなく入口から一番離れたところにイン。
裏口から救急外来の受付に行くと、
【重症患者対応中につき2時間ほどお待ち頂きます】
の案内板。
待合室には10組を超える苦しそうな子供と寄り添う一家。
呼吸が苦しくてぐずりっぱなしの長女の背中をさすり続け1時間半後、ようやく診察。
AM1:00
思った通り喘息の初期症状とのことで、気管支拡張の吸入を始める。
ただの吸引なので痛くも苦くも無いのだが、以前の事もあって吸入器を見ただけで長女パニック。抑えるだけで精一杯。嫁さんが半ば羽交い締めのように抑え僕が口元に吸入器をあてがうのだが、暴れちゃってほとんど吸えてない。
余りに嗚咽しすぎてついには少量リバース。抑揚の無い声で「時間をおいてあと2回吸入をやる」という看護師さん。やったほうが暴れて呼吸乱れるんじゃないっすか・・・
AM2:00
吸入二回目。最初は同じように抵抗していたが疲れ果てたらしく寝てしまった。気配を感じられないように側面から吸わせる。寝落ちしたようなのでずっと抱きっぱなしだった嫁さんと交替した。
AM3:00
吸引三回目。その前に飲み薬を不意打ちで飲ませたため、烈火の如く泣き叫ぶ。1回目と同様、吸引してるかしてないのか分からない状態。病床が重症の子で満杯なので通路の椅子でやってるのだが他にも泣き叫んでる子供もいて戦場状態。泣き疲れたようで段々と力が弱ってきてまた寝落ちしたところで吸引させる。
AM4:00
飲み薬の効果が出てきた頃合いで再度診断。「入院するか大丈夫そうか微妙なところなので明日再診していただけますか?9時半から受付てますので」
えーと・・・明日っていうか今日じゃないかねお医者様。側面吸入がよく効いたようで長女はすやすやと寝ている。一旦仕切り直さないと夫婦共倒れになりそうなので、落ちそうになる瞼をつねりながら帰路についた。
AM7:30
シャワー浴びてパンをそのまま囓って会社に遅れる旨を伝えて病院にとんぼ帰り。長女の経過は良好とのことで入院は何とか回避した。嫁さんは長女がべったりで動けそうに無いので、ずっと長男を見てもらっていた母とバトンタッチし幼稚園に送り届けそのまま出社。半休でも取りたかったが、休んだらクビレベルの重要案件山盛り日なので覚悟を決める。
夫婦ともに小児喘息をやっていて、あまり遺伝して欲しくない要素が長女にも遺伝してしまった。特に僕の症状は小学校まで月一で何らかの形で夜間診療のお世話になっていたほど重かった。
昭和のモーレツサラリーマン時代で毎晩遅かった父は、その度に着替えもそこそこに車を飛ばしてくれたそうだ。そこまでモーレツリーマンではない自分でも、一晩格闘してそのまま出社するのはそれなりに堪える。
子供一人を自立するまで育て上げるのは大変なこと。生まれた頃はあれさせたいこれさせたいとハイになっていたが、兎に角無事に育ってくれと無垢に寝る長女を見ながら思うのであった。